第14回 運と結果

ある雑誌の取材で私は日本のプロ野球12球団の全監督の姓名と、生まれ星から彼等の運を分析する機会に恵まれ?た。実は当初は、監督の姓名判断で優勝チームを占ってくれという依頼だったのだが、私は、そんなことは出来ない。但し、姓名の相と生まれ星をデータソースとした「それぞれが持つ"運"の要素」を分析することは可能だと答えたら、(私の予想に反して)それではそれをお願いすると言われたので取材に応じることになったのだった。ずいぶん、ものわかりの良い編集者だなと驚いた。

一般の人は運と結果を混同し、同一の線上において考えがちだ。いや考えたがる。そうして、なぜあの人は名前が悪いのに結果は良かったのか?とか、どうしてあの人は名前が良いのに結果が出せないのか?…というような素朴?な疑問を投げかけてくる。それは、まるで、名前(運)が悪かったら結果を出してはいけない、名前(運)が良い人は結果を出す義務があるとでも言いたげに詰問口調でせまる人が多いのには少々うんざりさせられる。困った事だとも私は思っている。

私は運と結果は無関係ではないが、必ずしも一致するとは思っていない。「小事を為すは力量、大事を為すは天運」という言葉がある。小事とは、大事(天下を取るというような大事)では無い事、つまり通常、普通の事だ。この言葉があらわすのは、『通常、普通の領域にある事を為すのは本人の力量如何による。しかし通常を越えた事を為そうとすれば天運(の助け)も必要だ』と言う意味だと思う。これは裏を返せば力量があっても(天)運を見方につけなければ大事を為すのは難しいということだし、運があっても力量が伴わなければ結果は出せないと言う事を示している。この言葉は戦国の武将、細川幽斎の言葉で、信長の訃報にうろたえる秀吉に対して発せられた台詞であると言われている。

今が天下を取るチャンスだ!信長在る限り秀吉に天下取りの芽は無い。しかし信長亡き時点で、そのチャンスの芽は生じた。千載一遇のチャンスをしっかりモノにせよ。あなたにはその力量がある。幽斎には秀吉に天運が見方していると見えたのだろう。同じチャンスは他の武将にもあった。しかし、電光石火で中国大返しをやってのけた秀吉の力量が運命の女神をほほ笑ませたのだろう。
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