第29回 長編 指示待ち族と占いブーム 第四編

巷で占いを取り上げる姿勢には、占いを通常の手段…面倒は抜きで…自分の目的を果たせるお手軽な別な方法。『努力せず、簡単に成功を手にいれる方法』としてアピールするものが多いのはこまったことです。

本来、『占い』という行為そのものは、帰納と演繹のプロセスを組み合わせて『分類する』『分析する』ことで傾向を探り、『予測する』ことで対策を講じていく知的作業です。ゆえに『占い』というものは、特殊な能力など必要とせず、学べば身に付けることができる知識であり、技術なのです。そして、そこから得られるものは、情報のみです。

しかも、テーマが高度になればなるほど『考える』過程が重用度を増し、『判断すること』が必要となってくる性質のものですから、『占いという行為』も『占いの結果を活用すること』も本来は指示待ち族には向かない作業であろうと思われます。

しかし、占いは、ある程度の段階までは、いわばマニュアルに従って、一定の手順を踏んで行けば自動的に答えが出てくる側面をもっています。情報を得るところまでは、比較的楽に出来ることで、現代のマニュアル世代には向いていることなのでしょう。

ところが情報というものは、いわば知的作業の素材ですから、それを使って何かに役立てて行く性質のものです。したがってそこには創意工夫が必要になります。情報を役立てる、生かすの段になると、創意、工夫が不可欠なのです。こうなると、現代の支持待ち族には至難の技になってきます。占いは本来、情報を入手する手段です。そして、その情報を活用することが占いによって情報を得る本来の目的なのです。しかし、指示待ち族はここのところが苦手なので、本来は手段であったはずの占いを目的にしてしまいます。そして占いから得られる情報を鵜呑みにすることで、それを自分への指令として受けとろうとします。そしていわゆる『決め付け』を喜んで受入れ、求めてしまうのです。せっかく可能性を広げるために存在するものを、可能性を限定するために使ってしまうのですから勿体ないと思うのですが、そうすることで彼等は自分の内面の世界で自分が受け入れやすい指令者を見つけたのでしょうか…。
|