 
第32回 運命学が有する先見性と洞察力 後編

残念ながら、今の私の知識の範囲では、正確に(といえる精度で)地震が起こる時、場所、規模に関する情報を提供することは出来そうもない。故に私は地震予知の予言はしない。いや、地震に限らず、何に対しても"予測"を立てることは出来るが、"予言"などできない。するべきではないと思う。

予測が現実になったとき、"予知できた"ということになるのだろう。しかし、予言は、必ず将来において現実となるものでなければならない。その確証、保証がないことを『広言すること』などするべきではない。予言と予測では、情報の性質において受けとり側に与える影響力がちがう。予測は、その情報を得たものに行動のオプションが与えられるが、予言はそうではないからだ。予言は本来、神(人ならぬ存在)の技であり、神と神に属するものが行うことで、人の行うべきことではないと思う。

私にとって"占う"は常に、人が行うことであり、運命学的見地から(運命学という学問が持つ特殊な物差しやルールを用いて)あらゆる事象、情報を分類・整理し、運命学のセオリーに則って分析を行い、傾向を探り、今後の動向や起こり得る事態などを"可能性"という範疇を出ずに"予測する"ことであり、『運命学的見地』という通常の判断基準とは趣を異にする立場からの情報を提供することなのである。

『だれが』『いつ』『どこで』『何を』『だれと』『どのように』『どうすれば』良い結果を創造することが出来るのか…。運命学の知識を用いて、目的に向かって、より効率的に努力するために役立つ情報を提供することが私の使命であると考えている。

可能性を広げ、積極的に未来を切り開いていくためには、直感力は大切な要素だと思う。しかし、直感に頼るだけでは『危うさ』というイメージを拭い切れない。 あらゆることに好奇心を持って貪欲に情報を収集し、集積した情報をシビアに分析し、傾向を探る努力を通して何らかの法則性を見つけ出し、予測を立て、対処策や行動の計画を練るというロジカルな思考姿勢が必要だと思う。

正確な予測を立て、適切な対処策や行動の計画を練るためには、いくつもの仮説を立てられる逞しい想像力も必要だ。その段階で直感力は有効な武器となる。『ロジカルな思考』と『直感力』、この両者の組み合わせによって得られるものが"先見性"と"洞察力"といわれる能力なのではないだろうか。

正確な予測を立てようとする努力の過程が、"先見性"と"洞察力"を養うことになるのだと思う。そしてそれは同時に直感力を高めていくことにもつながっていくとも思われる。

運命学は、天と地の間に人という存在を置き、三者の係わりから人を考え、『天と地と人に生じる現象には運気というものが大きな影響力を及ぼす』という仮定に立って構築された先見と洞察のための思考システムの一種なのではないだろうか。
|